2007年09月20日
第4回十字軍
1198年、主要な国王が参加しながら、あまり成果のでなかった第3回十字軍から10年たち、ローマ教皇インノケンティウス3世は、新たなる十字軍を呼びかけた。各国王はこれに参加しなかったが、シャンパニューで開かれた馬上槍試合(トーナメント)における勧誘で、シャンパーニュ伯ティボー、ブロア伯ルイを中心とした有力なフランス貴族が参加を決め、その後、フランドル伯ボードゥアン等が加わり70人以上の諸侯、騎士の参加を得た。シャンパーニュ伯が指導者になり、具体的な遠征計画を立てるための代表者として6人の騎士が選ばれた(その一人が、詳細な記録を後世に残したジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンである)。彼らが決めた方針は、イスラム教徒の本拠地であるエジプト(アイユーブ朝)のカイロを海路から攻撃するというもので、その輸送をジェノヴァやピサにも呼びかけたが、結局、ヴェネツィアに依頼することに決まった。ヴェネツィアは単に輸送を担当するだけでなく、元首エンリコ・ダンドロ自ら参加することになった。1200年にティボーが病死したため、新たにモンフェラート侯ボニファチオを指導者に選出した。
一方、シリアとパレスチナを支配していたアイユーブ朝は、エルサレムへの武装巡礼団が時々ベイルートなどの沿岸都市を襲うため、イタリア諸都市に対し西洋人の武装勢力を運ばせないようにする協定を行おうとしていた。1202年、アイユーブ朝の王でサラーフッディーンの弟、アル・アーディルは、互いに貿易相手として重要な関係にあったヴェネツィア元首エンリコ・ダンドロと協議し、以下の協定を交わしている。
エジプトはアレクサンドリアやダミエッタなど貿易港へのヴェネツィア船舶の自由な入港と援助を保障する
見返りに、ヴェネツィアはエジプトに対するいかなる遠征も援助しない
ヴェネツィアは、十字軍との契約も、アイユーブ朝との協定も、同時に守るべく行動していた。
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